父方の祖母の思い出

父方の祖父母のことについて書いたので母方の祖父母についても書かないと不公平。

母方の祖父母、と言っても祖父のほうは私が物心つく前からいなかったので会ったことすらない。戦争に行って戦死したのか、病気などで亡くなったのか、あるいは祖母と離婚して家を出ていったのか。

母方の祖父はいないことが当たり前だったので、今さらなんでいないのかを聞くつもりはない。どうでもいいこととは言わないけど、どんな理由にせよ気まずくなりそうだから。

祖母はまだ生きている。足腰はさすがにかなり悪いようだが、道具を使えば自分で歩くことはできるし、頭もはっきりしているので会話することもできる。

ただしかなり田舎の人なのでときどき方言がきつくて何を言っているかわからないときはある。

昔からお盆や年始に家族で集まるときは母方の祖父母の家だった。母方の親族が一同に介してとてもにぎやかな集まりだった。

小さい頃などは庭先に出てみんなでバーベキューをした。軽トラの荷台にブルーシートをかけて子どもたちはそこに座ってわいわいとやっていた。

そんな集まりも私たち子どもが成長するに従って段々と集まりが悪くなっていった。

初めは私の兄が集まりに行かなくなった。次に従兄弟の弟のほうが来なくなった。次に従兄弟の兄のほう。高校生になっても私は行っていたが(友だちが少ないので暇なときが多かった)、やがて私も行かなくなった。私は就職で東京に行ってしまったので、行くことが難しくなってしまった。

祖母はかなり田舎のほうで米農家をしているので、比較的街のほうに住んでいる私のことをよくおしゃれだとか褒めてくれることが多かった。

実際には私の実家は地方都市の隣の隣の街くらいで、祖母の家があるところに比べたらまだマシという程度のものだったが、祖母にとっては華やかなものに写っていたのかもしれない。

祖母の家は昔ながらの家という感じで、土間がありぼっとん便所があった。小さい頃、祖母の家に泊まったときに夜中トイレに行くのが怖くて母についてきてもらうほどだった。

そんな趣のある家も数年前に内装だけリフォームしてしまい、土間のあったところはだだっ広いフローリングになっている。トイレも新しく洋式便器をあつらえた。

子供の頃はなんで家の中で靴を履いたり脱いだりする必要のある土間なんてあるのか不思議だったが、今はあの風景が懐かしい。ときどき当時の内装が夢に出てくることもある。

祖母の正確な年齢は知らないが、さすがにもういい歳ではあるので、いつ亡くなってもおかしくない。亡くなる前にもう一度だけでも会っておきたい。