父方の祖母の思い出

父方の祖母はとにかく優しい人だった。

傷痍軍人であった祖父を長年支え続け、一方で自分の子どもたち(父や父の姉、父の兄)をかわいがり、そして孫である私もかわいがってくれた。

祖父母の家へ行くと、よく祖母に近所のお店へ連れて行ってもらっていた。

そのお店は地域の何でも屋さんのようなもので、店内以外にも入り口周辺に100円均一などのお店などが軒を連ねているようなところだった。

そのお店に行くたびに祖母は必ずおもちゃを買ってくれるのだった。中でもSDガンダム(等身の低いガンダム)のプラモデルをよく買ってもらった覚えがある。

買ってもらったプラモを祖父母の家へ帰ってから組み立てる。出来上がったものを祖母に見せると「すごいねぇ」などと優しい笑顔で褒めてくれた。

祖父母の家から実家へ帰る時間になると、毎回祖母は寂しそうな顔をして1000円ほどのお小遣いをくれた。子どもにとって1000円は大金だ。おもちゃも買ってくれ、さらにその上お小遣いまでくれる祖母なのだった。

私が中学3年生くらいのとき、祖父が亡くなった。傷痍軍人だったものの戦地から生きながらえ、最後は家族に見守られながら老衰で死んでいった。大往生だった。

祖父が死んでまもなく、祖母の容態が急変した。それまで祖父の看病をすることが精神の支えになっていたのか、その必要がなくなった途端、今度は祖母が寝たきりになってしまった。

あるとき祖母のお見舞いに行くと、祖母は私を見てこう言った。

「あぁ、コロちゃん」

愛おしそうに私の顔を見る祖母。コロちゃんとは、叔母の家で飼っている犬(ポメラニアン)の名前だった。後から知ったが、その頃の祖母は痴呆の症状が出ていた。当時の私はわけがわからず、また思春期特有の照れなども入り混じって押し黙るしかなかった。

孫のことを犬と間違えるなんて、とは思わない。むしろ私は、見た目にもとてもかわいらしいポメラニアンと同じような目で孫である私のことを見ていてくれたのだという思いだった。嬉しくすらあった。

結局、それから時間を置かず祖母は亡くなることとなった。葬式ではやはり涙は出なかった。生前あんなに優しくしてくれかわいがってくれたのに。

涙は出なかったが、私は優しい祖母のことが大好きだった。