父方の祖父の思い出

私の父方の祖父母はすでに亡くなっている。私が中学3年生くらいの頃だった。

父方の祖父は傷痍軍人というもので(当時の私はその言葉すら知らなかった)、生前から足は両方とも太ももから下がなく、まともに喋れない状態だった。

しかし寝たきりというわけではなく、足は義足をつけてなんとか歩けていたし、喋れないながらも妻(私の祖母)との意思疎通はできているようだった。

意思疎通に関しては私の祖母の能力が高かったのだと思う。祖父がふがふがと言葉にならない言葉を発すると、祖母はすぐ「はいはい、新聞ですね」などと甲斐甲斐しく世話をしていた。

私が小学4年生くらいの頃だったと思うが、一度だけ祖父がお風呂に入っているところを見てしまったことがある。一緒に入ろうだとか覗いてやろうだとかしたわけではなく、間違えて扉を開けてしまったんだと思う。

風呂場に裸の祖父がいて驚いた顔をしていた(と思う)。そこで私は初めて祖父の足がないことをその目でまざまざと見た。それまでおぼつかない足取りだったことは何回も見ていたが、まさか足がないとはそのときまで知らなかった。

おそらく戦地で地雷か何かを踏んで足が吹っ飛んでしまったんだろうと思う。あるいは、敵の銃弾を足に受けて切断せざるを得ない状態になってしまったか。

きっとそのときのショックで言葉を失ってしまったんだとも考える。

小学生の時分にはよく行っていた父方の祖父母宅にも、中学校に上がってからはとんと行く機会が減っていった。祖父母宅は実家からそんなに離れていなく、車で30分もすれば行くことができるのに。

あるとき両親からおじいちゃんのお見舞いに行くから準備してと言われた。そこで私は初めて祖父が寝たきりになっているということを知った。

祖父は父の姉(私の叔母)の家で介護を受けながら生活していた。

私が祖父が寝ているベッドに近づくと、祖父は顔をこちらに向け、震える手を差し伸べ私のことを触ろうとした。私は弱っている祖父の姿を見ていたたまれなくなり、そっと祖父の手を握った。

それから半年もせずに祖父は他界した。

祖父の葬式では涙は出なかった。自分は薄情な人間だと思った。

言葉が喋れない祖父だったのでまともな会話を交わしたこともなかったが、孫である私のことをかわいがってくれている気持ちは十分伝わっていた。

私もそんな祖父のことが大好きだった。