好きの反対は無関心?

好きの反対は無関心。

よく聞く言葉です。

私はこの言葉を聞くたびに「本当にそうか?」と思う。

あくまで私の感覚だが、好きの反対は普通に嫌いだと思う。

人は万人に好かれたいと思っている。反対に誰にも嫌われたくはないだろう。

「誰にも無関心でいられたくない」と思う人はいるだろうか。

私は嫌われることよりも無関心でいられたほうがずっと心は平穏でいられる。

むしろ、無関心というものがそんなに悪いものだとは思わない。

自分が相手のことを好きで、相手も同じように自分のことを好いてほしいというような関係の人でない限り、相手が自分に対して無関心でいてもどうとも思わない。

いや、どうか無関心でいてくれとさえ思う。好きになんてならないでほしい。

親、恋人、友達以外の人たち、例えば会社の同僚なんかは、むしろ積極的に私に対して無関心であってほしい。

もちろん嫌われたいわけではない。

好きとか嫌いとか一切の感情を持ってほしくない。

万が一好かれたりなんかすると、いろいろと面倒なことが起こりやすい。

例えば好きだからと言って特別な待遇をされたりする。

すると、それを見た第三者は不公平だと思うだろう。ヘイトを溜め込むことになる。

溜め込んだヘイトが許容点を超えたとき、何をされるかわかったものではない。

そういったなんやかんやを想像するだけで疲れるし面倒だなと思う。

そんなことに頭を悩ますくらいならはじめから好かれたくはない。

人生で出会う人の中で自分が好きになる人というのはそんなに多くない。

大多数の人は別れた後出会ったことも忘れてしまうような薄い関係の人。

この人とは別れたくないなと思えるような人は実に少ない。

血が通っていたりよっぽど気が合う人でなければそこまではなかなか思わない。

冷たい考え方だと思うけど、私はいずれ別れるような人たちにまで好かれたいとは思わない。

だからといって嫌われたいわけではないから、どうか無関心であってほしい。