母親が無性に優しかったあの日

高校生の頃、母親が突然「親知らず抜いとく?」と聞いてきた。

何年も前のことなので記憶が定かじゃないが、それまで親知らずのことなど話題にもしたことがなかったのに、いきなり冒頭のようなことを聞かれた覚えがある。

そのときの私は親知らずについてよくわかっておらず(今も知らんけど)、そんなこと聞かれても判断する材料が何もないのですぐに答えられなかった。

どういう経緯かは忘れたが結局親知らずは抜くことになった。おそらく私が口ごもっているのを見て母親が「せっかくだから」ということで抜くことを決めたんだと思う。

後日、学校から帰ると母親が「歯医者連れてってあげる」と言い、そのまま母親の運転で隣町の歯医者まで行った。

さらに後日、また母親に歯医者まで連れて行ってもらい、ついに親知らずを抜いた。

部分麻酔なので意識ははっきりしており、医者が何やら器具を使って口の奥をゴリゴリとしているのがわかった。

仰向けにされ口の奥で行われる大工事にひたすら耐えること約2時間、ようやく親知らずが1本抜けた。

その日は1本だけ抜いて終わり。帰りの道中、母親が「ご飯食べてく?」と聞いてきた。

人生で初めてサイゼリヤに入店し、そこでたらこスパゲティを食べた。

私は今でこそたらこスパゲティが大好きだが、そのときはなぜかたらこスパゲティを食べると気持ち悪くなってしまい、半分ほど食べて残してしまった。

母親は「無理しなくていいよ」と言った。いつもなら食べ物を残すことを許さないのに、どういうわけかこのときは無性に優しい言葉を私にかけてきた。

ただそれだけの思い出。なぜか今でもこのときのことはよく覚えている。この先もっと年をとってもこの記憶は残り続けるだろう。