ピアノの演奏者は中国人。
突然始まった想定外の前奏に心底驚いた顔を指揮者に向けるものの1秒かそこらで即座に対応している。
動画は途中で終わっているが記事によると最後まで弾ききったそう。
なんでも主催者側が楽譜を間違えたのが原因だったということだが、私にはどうもそうは思えない。
演奏者が中国人、というかアジア人であることが関係しているのではないかとどうしても思えてしまう。
アメリカでは数年前に白人警官による黒人殺害を契機としてBLMという差別反対運動が盛り上がりを見せていた。
白人社会は昔から黒人を奴隷のように使い、現代に置いてもその差別意識は根強く残っている。
しかし最近はBLMのような運動が全米を加熱させるほどに黒人に対する差別意識は薄れてきているのも事実。
ただ、そうした意識改革は黒人に対するものであって、黄色人種に対するものまで波及していない気がする。
白人の黒人に対する差別意識は薄れているが、白人の黄色人種に対する差別意識は何も変わっていない。というか白人だけでなく、白人から差別されている黒人すら黄色人種は自分たちより劣った人種だと認識している。
海外の映画で最近はいろんな人種、性別、障害の人が出るようになったが、アジア人の役はちょっとした端役とかすぐに殺される噛ませ犬だとかとんでもなく嫌な性格の役ばかり。
私は洋画は結構見る方だと思うが、映画にアジア人は出てきてほしくない。
なぜなら映画内のアジア人の扱いがひどくて見ていられないから。
白人や黒人は主役、主役の相棒、聡明な科学者などいい役に始まり、敵の総大将、場をかき乱すトラブルメーカーなど多岐にわたる。
要するに白人黒人においては役における垣根が存在しない。
しかしアジア人は決してメインになることはない。決して重要な役になることはない。
とりあえず昨今の風潮に従ってアジア人も出してみましたという言い訳のためだけに存在している。
そんな扱いならいっそ出てこないほうが100倍いい。
映画を作る側の「アジア人も出してやってる」という尊大さが垣間見える。
こういう感覚を持つのって異常なのかな。昨今の行き過ぎたポリコレ礼拝に嫌悪感を抱く。
差別はなくなってほしい。けど形だけの差別撤廃はいらない。そんなことされたところでより傷つくだけ。