最近起きた凶悪事件といえば旭川でいじめを苦にして自殺してしまった女子中学生の事件。
ネットには散々顔写真が出ていて、それをみると楽しそうに微笑んでいるが、それはいじめの起こる前に取られた写真だそう。
あの笑顔がいじめによりだんだんと失われていき、そして永遠に失われてしまったことは筆舌に尽くし難い。
ネットではいじめをしていた本人たちというよりもむしろ、その周辺の大人たちへの球団が一層強い模様。
デートがあるからと親からの相談を断った元担任、いじめの存在を認めようとしない教頭や校長、我が子にも人生があるんですと主張するいじめたものの親。
確かに責められるべきことだとは思うが、私は何よりいじめた本人たちこそが一番悪いと思う。
実際そう思う人たちも少なからずいて、名前や顔写真を公開すべきだと言う意見もある。
今はネットが発達しているので何もメディアで後悔しなくても調べようと思えば名前も顔写真も出てくる(真偽は不明)。
いじめが起こるのはもうどうしようもないと思う。何十年、ひょっとしたら何百年も何千年も前から同じことが繰り返されているから、これはもう人間の特性なんじゃないかとも言えるかもしれない。
しかし、その結果相手を死に至らしめてしまった場合、もちろんそんなことあってはならないが、少なくとも反省はしなければならない。
あってはならないが、いじめた相手の死という重大な結果を受けて、深く心から反省し、それからは心を入れ替え、真っ当に、むしろ人一倍品行方正に生きていかなければならない。
しかし今回の事件はどうやら反省もしていないらしいという話も聞こえてくる。
女子中学生が死んだと言う話を聞いてもふーんとしか思わなかったとかなんとか。
それが本当だとしたら救いは何もない。
いくら子供だからといって未熟未発達として片付けられない悪質さがある。この先成長しても改善する余地はないと思われるので、すぐにでも極刑に処す必要があるとすら思える。
アメリカでは殺人を犯した16歳くらいの少女が未成年ではあるが成人として裁かれ終身刑を言い渡されたケースもある。
その少女は初め猫をかぶっていたそうだが、取調官か何かへの発言で反省の素振りすら見えなかったため極刑に処された。
日本でもこういう処置をすべきだと考える。法律があるから、過去の判例があるからというだけでなく、犯罪そのもの、犯人そのものを見て、量刑を決めるケースも中にはある。