当時はまだ若く希望に満ち溢れていた

私は就職と同時に地元の田舎から東京へ引っ越した。初めての一人暮らしだった。

午前中から親の運転する車に乗って下道でのんびり東京へ向かい、アパートに到着した頃には夕方になっていた。

すでに夕方だったこともあり本格的な荷解きは明日しようと思い、その日は段ボールに囲まれたまま床に着いた。

朝、目を覚ますと低い位置に天井があった。当時住んでいたアパートはロフトベッドがついていて、そこに布団をひいて寝たのだった。

眼前に迫る天井を見て、「ああ、今日から本格的に一人暮らしが始まるんだ」と実感したことを強く覚えている。

これから始まる未知の一人暮らしへの期待感と、困ってもすぐには誰も助けてくれないだろう環境に対する恐怖感がないまぜになってなんとも言えない感慨に耽った。

当時はまだ若く希望に満ち溢れていた。根拠のない全能感に包まれてもいた。あの頃の年代はどうしてあんなに無条件に自分を肯定できるのだろう。

歳をとってみて若い人が疎ましく思うこともある。きっとあの頃の自分も、今の私と同じ年代の人たちにそう思われていたのだろう。

よく一人暮らしを始めると親のありがたみを初めて実感するというが、私の場合は一人暮らしを始めてしばらくしてもそういう感想は湧いてこなかった。

親のありがたみを実感できたのは東日本大震災が起こったときが初めてだった。

あのときは近所のスーパーからあらゆる物資が消えた。特に困ったのは食料よりトイレットペーパーやティッシュだった。

そんなとき親から連絡があり、必要な物資があったら送るから教えて欲しいときたのだった。

届いた荷物には食料、雑貨などに加えランタンなどの光源となるものも入っていた。当時は計画停電で夜7時くらいまで電気が使えないということをしていた。

そして今もなお世界中を騒がせ続けているコロナウイルスの流行が起こって、また両親の世話になり続けている。

新学期シーズンということで、ふと初めて一人暮らしした時のことを思い出した。あの時のことを思い出すと胸が締め付けられる。