「煮詰まったら一晩置け」「明日できることは明日やれ」

 私は昔から「煮詰まったら一晩置け」と言い続けている。

ある問題に直面したとき、疲労した頭で長時間考え続けていてもいいアイデアは出てこない。そういうときは潔く帰ってゆっくりして脳をリフレックスさせる。すると翌日になるとあんなに悩んでも出なかった妙案が朝イチですっと出てくる。文字通り朝イチで、業務が始まってからものの30分以内には打開策が天から降ってくる。

私はこれを経験則として知っている。仕事でうんうんと唸っていたことも翌日になるとかなり早い段階で答えが湧いてくるということを何度も経験している。

だから私は「煮詰まったら一晩置け」と言っており、実践もしているのだが、日本人はこれを「問題を残したまま放棄して帰る不届きもの」と見做して唾棄すべきことと扱う。

基本的に自分が実践するだけで誰かにアドバイスしてやろうということもないが、仲のいい後輩なんかには教えてあげるけど、まあ賛同はされない。

あと「明日できることは明日やれ」ということも言っている。これも同じように誰かに言うといい顔はされない。

私のような凡人が言っても共感はしてもらえないので、オードリー・タンさんのような本物の天才がこういうことをどんどん発信していってほしい。

願わくば日本人でこう言うことを積極的に推進する天才が現れてほしいものだが、一向に現れない。

よくアジア人、とりわけ韓国人や日本人のIQは世界一高いということが言われるが、日本人ってそこまで頭良くないんじゃないかと思うことがよくある。

日本人は既存のものを小型化したり改良したりすることは得意だが、何かを創出するということはあんまり得意ではない気がする。

明治期に政府一行が欧米先進諸国に先進的文化のお勉強しにいって、自国へ持ち帰り適用させたけど、こういう学びの能力は高いんだろうが日本発祥の文化って、欧米に比べてずっと少ない。

IT業界にいると何でもかんでも発祥はアメリカだからちゃんとした文献は当然ながら英語だから日本人は苦労する。

日本人だって1億人以上いるわけだから天才も少なからずいるはずなんだけどなんで誰にでもわかりやすい舞台にあがってこないんだろう。日本の場合は上の世代が天才を潰そうとしたり無視したりするのかな。

オードリー・タンは35歳の若さで台湾政府に入閣したらしいけど日本じゃそんなこと有り得ないってのが感覚的にある。今までそう言うことがなかったからそういうことも有り得るという感覚が醸成されてない。

日本もこれから変わっていってほしいけど、私がもっと若いときにそういう機運を感じたかった。