自宅の直ぐ側にある緑道を散歩コースとして歩くことが趣味だった。
その日もいつものように、緑道に沿って流れる小川のゆるやかな流れを横目に見ながら歩いていた。
時期は真冬で、時折吹きすさぶ寒風が肌を締め付ける。あいにく天気もいいとは言えない。空には曇り空がかかっており、今にも雨が降り出しそうな気配がした。
天気のいい日であればこの緑道にはたくさんの人の往来がある。散歩をしている人、犬を連れている人、ウォーキングやジョギングをしている人。
しかし空は厚い雲に覆われ、肌寒い時期とあっては、さしもの緑道にもいつもの賑やかさはまったくなかった。
そうこうしていると、肌に冷たいものが触れた。手で拭うと濡れていた。ついに雨が降ってきたのだと思われた。
雨ははじめポツポツと降る程度だったが、やがて断続的に降りしきるようになった。雨粒はさほど大きくはなく、小雨と言って差し支えないものではあったが、数分もその中に佇んでいればびしょ濡れになることは間違いない。
何もしないよりはマシだと思い、パーカーのフードを被り、慌てて踵を返した。空は雨雲に覆われていてあたりは薄暗くなっていた。
先ほどまではまばらとは言え数人はいたはずだが、気付けば周りに人影はまったく失われていた。こんな日に特別な理由もなく散歩をしているのは自分だけのようだ。
自宅まで帰るのに数十分はかかるだろう。足早に自宅へ向けて歩を進めた。
ふと緑道に沿って流れる小川に目をやると、なにか青いものが水底に沈んでいるのが見えた。近寄りさらに目を凝らしてみると、それはどうやら靴のようだとわかった。
靴と言っても大人のものではない。大きさから言って小さな子供、それこそ5歳くらいの子が履くような小さな靴だった。
無地のやや明るい青を基調として、靴底や靴紐の白がアクセントになっている。どこにでも売ってそうな何の変哲もない子供用の靴だ。それが水底に沈んでいるということを除いて。
なんで子供用の靴が川の中にあるのかと不思議に思った。普通に考えたら誰かが落としたのだろうが、解せないのは、靴が両方揃っていたことだ。しかも無造作に転がっているというわけではなく、きちんとかかとをあわせて揃えられているのだ。
誰かが靴を落としたとして、果たしてこのように両方がぴったりと揃うことがあるだろうか。なくはない、たしかにそうだ。ただ、その確率は低いように思われた。
雨により多少増水されつつある小川、その底に律儀に揃えられた両の靴。それが子供用だということにもなにか不気味なものを感じずにはいられなかった。
嫌な想像も掻き立てられたが、努めて考えないようにした。無心で自宅までの家路を急いだ。
自宅に着いた頃にはすっかりびしょ濡れになってしまっていた。小雨とは言え長時間その中にいたのだから当たり前だ。
マンションのエントランスに入りエレベーターのボタンを押した。エレベーターの回数表示は6階となっている。その表示が5階、4階と減っていき、やがて1階になりエレベーターの扉が開いた。
エレベーターに乗り込もうとしたとき、それに気付いた。
フロアの真ん中に先ほど緑道で見たあの靴があった。青い無地に白い靴底と靴紐がアクセントになっている。大きさも先ほど見たものと同じ、子供用だ。
さっきまで水底に沈んでいたあの靴と同じだとは限らない。よく似た靴なんていくらでもある。それがたまたまここにもあっただけだ。なぜエレベーターに靴だけ置いてあるのだというもっともな疑問はあったが、あの靴と同じだとは思いたくなかった。
しかし、その靴からは水が滴っていた。ついさっきまで水に浸かっていたかのように。
その靴はこちらを見据えるかのように、両のつま先をこちらに向けて、きちっと揃えられていた。