うだるような暑さの中、私は路地裏を歩いていた。
もう太陽も沈みかけているというのに、夏真っ盛りの日とあってはその暑さはとどまることなく私の肌に絡みついてくる。
立ち止まり額の汗を拭う。とめどなく流れる汗が着ている服を湿らせ、それがまた肌にまとわりついて気持ち悪い。
ふと周りを見回してみると、さっきまであった人通りがまったくなくなっていた。都会のど真ん中といえども、中には人がほとんど通らないような路地裏も存在する。それが今私がいるところなのか。
周りにあるのは古びた雑居ビルばかり。ところどころひび割れていたり蔦が這っていたりしていてどこか薄ら寒い印象を抱かせる。
この林立する無数の雑居ビルの中のひとつに私の目的地があった。
「確かこの辺のはずなんだけど...」
周りに人がいないのをいいことに、やや大きめの独り言をつぶやく。
しばらく付近をうろうろして雑居ビルの入り口をためつすがめつ見ていると、どうやらこれじゃないかという建物が見つかった。
私は建物に入りエレベーターを探した。目的の場所は雑居ビルの8階に入っているので、さすがに階段で行くのは大変だ。ましてこの暑さでは昇っている途中に倒れてしまうかもしれない。
そうこうしているうちに来たエレベーターに乗り込み8階のボタンを押す。
押すが、なぜか反応しない。どうしたんだろう。よく見ると8階のボタンだけ点灯していない。他の階のボタンは淡く光っているのに、肝心の8階のボタンだけ無点灯のまま。エレベーターの故障かもしれない。
大いに気は引けたが、私は決心して階段で8階まで行くことにした。なんとしてでも8階まで行ってエレベーターが故障してますよと皮肉たっぷりに言ってやるつもりだった。
エレベーターから降り階段を探したが見つからない。まさかと思い雑居ビルから出て外から見てみると階段が見つかった。それは屋外に設置するタイプの非常階段で、建物と建物の間のわずかなスペースにおさまっていた。
その階段は建物の間にあるため非常に薄暗かった。昼間ならまだしも時刻はもう間もなく日没を迎えようとしている。
私は急いで昇ることにした。今ならまだかろうじて太陽光が差し込んでいて明るい。今のうちに昇ってしまわないと本格的に真っ暗になってしまう。
ぐるぐると螺旋状に上へと伸びる非常階段を昇っていく。まるでとぐろを巻く蛇の体内を逆流しているかのような感覚になった。
途中、何度か一息つきながらようやく8階までたどり着いた。そこには何年も使ってないようなホコリまみれの寒々しい鉄製のドアがあった。
ドアノブにもホコリがついていて一瞬触るのも躊躇われたが、ここまで来ておいて帰るという選択肢はない。意を決してドアノブに手をかけた。
ドアノブは回り切ることなく途中で止まった。普通なら半周ほどドアノブを回すことでドアのロックが外れるはずだが、回し始めてすぐのところで物理的に回すことができなくなってしまう。鍵がかかっているのだと思われた。
私は放心し、どうしようもないことを悟ると、服が汚れるのもはばからずその場にへたり込んだ。ここまで昇ってきた体力的な疲れと、一気に打ちのめされた精神的な疲れで一歩も歩けなくなってしまった。
何分くらいそうしていただろう。項垂れるようにしていた首を眼前に向けると、あたりは完全な闇に包まれていた。
やばいと思い慌てて降りようとするもすぐ思い直す。暗闇の中、焦って階段を降りると足を踏み外してしまうかもしれない。私は深呼吸して努めて平静を保とうとした。
そうしているうちに段々と暗闇に目が慣れ始め、うっすらとではあるが階段の輪郭などがわかるようになってきた。
そのとき、私ははるか下のほうでガチャンという音がしたのを聞いた。
それまで自分以外に人はいなくほとんど無音と言ってよかったものだから、突然鳴り響いた音に私は驚いた。
なんの音だったのかと考えを巡らす。音は金属がぶつかるようなもので、地上付近からしたように聞こえた。
まさかと思い、私は逸る気持ちを抑えつつ慎重に、しかし足早に階段を下った。
嫌な予感はあたった。地上までたどり着いた私を待っていたのは、しっかりと施錠された非常階段の入り口だった。先ほど聞こえたガチャンという金属質な音は、この非常階段を施錠する音だったのだ。
この非常階段は周りが鉄製の細い棒で覆われている。不慮の転落防止、あるいは自殺防止のために、屋外に設置してある非常階段の中にはたまにこういう作りになっていることがある。
さらにこの非常階段は入り口を施錠するという厳重さ。過去に誰かに侵入されたことがあるのかもしれない。
ここは人通りのほとんどない路地裏。すっかり日は沈み、あたりは闇に包まれている。遠くでカラスがカアと鳴いた。
私はこの陸の孤島に閉じ込められてしまった。