ノスタルジック '00 (3) 《勇気》

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「おはよう」

初めて選択授業が行われる日、緊張に包まれていたぼくの耳に飛び込んできたのは、なんの変哲もない挨拶だった。

ぼくは声の主である窓際の席に座る女の子を認めるも、なんとなく気恥ずかしくなり目を背けてしまった。

かろうじて「あ、うん...」などという挨拶とは程遠い相づちをうつので精一杯だった。

それすら相手に届いているのかどうか怪しいものだった。

やがて授業の始まりを告げるチャイムが鳴り響き、担当の先生が教室に入ってきて授業が始まった。

「早く席に着けー!」

「どこに座ったらいいですかー?」

誰かが先生に質問をした。それはぼくも知りたいことだった。生徒同士では誰がなんという名前なのか現時点ではわかっていないので、生徒だけで五十音順に座るのは無理があった。

ぼくはとりあえずの席として、窓際から数えて二列目の真ん中あたりに座ることにしたのだった。

「席はどこでもいいぞ」

どこでもいいんかい。だったら窓際の席とか、もっと後ろのほうの席にしておけばよかった...

生徒たちは三々五々、思い思いの席に座り始めた。ある者は我先にと後ろの方の席へ、ある者はどこでもいいとばかりに手近な席へ。

あっという間に席が埋まってしまったので、いまさら席移動することなどできなくなってしまった。

おそらく今後一年間、ここが僕の席になるんだろう。そう先生に言われたわけではなかったが、特に変更する理由もないので、そうなるように思えた。

ふと、窓際のほうを見てみた。

なにか視線のようなものが感じられたからだ。

さっきぼくに挨拶をしてくれた女の子が、ぼくのほうを見ているかもしれない。

期待、と呼べるほど明確なものではなかったが、ほとんど無意識に首を動かしていた。

窓際に座る女の子は、まっすぐ先生のほうを見ていた。

視線を感じたように思ったのはぼくの勘違いだった。きっと漫画やアニメなら女の子と目が合ってニコッと微笑みかけてくれるんだろうな。

現実はそう甘くない。

 

翌週、また選択授業の日がやってきた。

ぼくはこの日、あることを心に決めていた。

もし今日、またあの女の子が挨拶してくれたら、ちゃんと「おはよう」と返そう。

挨拶されたら挨拶を返す。人として当たり前のことだ。こんなことすら決心しないとできないのがぼくの弱いところだ。

自分から挨拶するのはまだ無理だけど...

ぼくは教室に入り、先週と同じ席に座った。窓際から数えて二列目、真ん中あたりの席。

その隣の窓際の席には...

「おはよう」

先週と同じく、窓際の席の女の子が僕に挨拶をしてきた。

「あ、おはよぅ...」

後半になるにつれ声が小さくなってしまい、尻切れとんぼのような挨拶になってしまった。

でも一応は挨拶を返すことができたので良しとしよう。

ちなみに周りには自分以外いないことは確認済みなので、他の人への挨拶と勘違いしたわけではない。

「この前、なんで無視したの?」

一瞬、何を言われたのか理解ができなかった。

「え...?」

「この前挨拶したとき、返してくれなかったよね...?」

ここまで言われてようやく理解ができた。先週、女の子に挨拶されたとき、ぼくはいきなりのことだったので気が動転してしまい、挨拶を返すことができなかった。

しかし無視までした覚えはない。ろくでもないものではあったけど、一応は反応したつもりだった。

...いや、聞こえてなかったんだろうな。言った瞬間、それすら聞こえてるかどうか怪しいものだって、自覚してたもんな。

ほとんど一瞬で自分の不甲斐なさに思い当たり、相手に申し訳なく思った。

それと同時に、今日また挨拶をしてくれた女の子に対してありがたく思った。

相手にしてみれば一度無視されているにもかかわらず、めげずに二度目の挨拶をするのにどれだけの勇気がいっただろう。

一度目の挨拶だって勇気がいる。勇気を振り絞ってした挨拶を無視されたとしたら、普通はもう二度と挨拶なんてしようと思わない。

「ごめん...」

ただ一言、ぼくは謝った。言葉以上に謝意はあったんだけど、謝ること以外に、それを伝えられるだけの術を思いつかなかった。